親としてのキモチ

男はつらいよ。乳児を前にして思う。

泣き叫ぶ乳児を前にして、パパとママの違いは何でしょうか?と聞いてみると、長時間抱っこする力とか、包み込むような母性とか、たぶん色々な意見があるかとは思います。

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つくづく感じるあれの存在

そんな中で、私が3月に産まれた次男の育児をしていて、最近つくづく感じている違いが、パパにはおっぱいが無いという事です。

残念ながらというか、まあ無くて当然な事なのですが、それでも意思疎通が難しい乳児を前にすると、おっぱいが有るか無いかで、この期間の育児のやりやすさは変わってくると歯噛み痛感しております。

乳児の意思表示の基本は、泣くという事がメインになっておりまして、この泣くという行為の中には、いろんな思いや訴えが込められています。そして、この泣くという一つの表現で「お腹がすいた」「抱っこしろ」「眠たい」など多様な訴えが含まれておりまして、その中のどれであるかは、こちらで判断しないといけないのです。

勘とか経験とか目に見えないものを頼りにしないといけません。 しかも、適切にすばやく訴えに対応せねば、「泣く」が「号泣」へと昇格して、手が付けれない暴走モードに突入してしまうのです。モンスターベイビー状態ですね。
(泣いてるほうも、自分が、なぜ泣いているのかが分からなくなって、手が付けれない状態)

嗚呼、おっぱいさえあれば

こんな時、もし、おっぱいがあれば、まず「お腹がすいた」なのかどうかを、即座に確認をすることができるんです。取り急ぎ、ちょい飲みさせてみて様子を伺って、飲み続けるのなら、そのまま与えれます。もし、拒否するようなら、次の「抱っこしろ」対策を講じてみると、段取り良く消去法で対応していけます。

これがパパの場合は、泣く乳児を部屋に残したまま、急いで台所に向かい、ミルクを作る作業に取り掛からねばならないのです。まあ、ちょっとした運動会の競技のような気分。とにかく号泣モードに突入するまでに、粉ミルクを計量スプーンで、哺乳瓶に移していき、お湯を注ぎ、ひと肌の温度まで冷まさないといけません。

そして、粉ミルクをこぼしたり、ミルクを飛び散らかしたりというアクシデントに見舞われながら、必死の思いでミルクを与えてみると、完全拒否されて、実は、ただ「眠たい」だけだったなんて事なんてざらにあります。

釈然としない気分で眠りにつくまで抱っこ。

男はつらいよ!

そして、子供が眠った後に、必死で作ったミルクを流しに捨てるあの虚しさ。活躍できなくても、その哺乳瓶は洗わないといけないのです。

ママにはママのこれまた苦労があるとは思いますが、こんな時、ふと男はつらいよ、と思うのでした。 育児に携わるパパが増えてきている状況ですが、皆さんはいかがでしょうか?

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