100万回生きたねこ
作絵:佐野洋子
もう皆さんがご存知の有名な絵本です。まだ私が二十代だった頃、サブカルチャーやアンダーグラウンドな音楽に心奪われていた若き日々に、ファッション雑誌か何かで、大人が読むべき絵本というような特集記事で取り上げられていて、その頃に購入しました。
この『100万回生きたねこ』は、100万回死んで、100万回生まれ変わったトラねこのオハナシです。ねこは、生まれ変わる度に誰かに飼われます。
100万人の主人の元で生きて死ぬを繰り返しますが、ねこは自分以外を好きになる事がないので、死ぬことに悲しみなど無くて、何の感情も無く淡々と命を終わらせます。
そして、最後にやっと野良猫に生まれ変わって、自由を手に入れるのですが、そこで初めて自分以外で愛するものに出会い、家族を持ちます。最後、愛することを知ったねこは、もう二度と、、、
100万回死んだねこ
まさか、20年後に子供ができて、ふとこの絵本を思い出して、5歳の息子に読み聞かせる事になるなんて想像もしていませんでした。
一通り読み聞かせてみて「ねこ、100万回も生まれ変わってすごいね!」とでも言うかと思っていたら、我が家の息子の感想は「これ、怖い話。100万回も死んだから!」でした。
確かに、100万回生まれ変わる事はすごいけれど、100万回も死ぬのは正直辛い。100万回というと、もうほぼ無限ループ状態で、ねこは無限の因果の中に囚われてるみたい。
死んでも死んでも生まれかわって、また死なねばならないのは、ほとんど地獄の責苦だなと、息子の感想を聞いて初めて気付きました。ねこは、何度も何度も虚しさと苦しさを味わされながらも、自分が背負っている業(カルマ)を解消するのに必要な何かを探して、延々と彷徨っているように見えます。
最終的には他者への愛を知る事によって、無限に続いていた生まれ変わりは終わります。なんか最後の方には、キリスト教の要素も隠れているのかも?などと、深く読めば、どこまでも深く読めてしまうのが、この絵本の評価の高さなのかと思います。
子供の感想をきっかけにして、タイトルと逆の視点で物語を咀嚼してみると、思いのほか哲学的な要素があるように思えてきました。
いやはや子供に読み聞かせているつもりが、逆に、読み気付かせられているのかもしれませんね。
"おれは、100万回も、しんだんだぜ!"