親としてのキモチ

育児すればするほど無くなるよ、父親の威厳。

最近、つとに思うのが、すごい勢いで私の父親の威厳というものが擦り減っていってる、という事です。
例えば、息子が言う事を聞かない時など、「ママに怒られるぞ!」と言うと、テキパキと行動を始めるという現象。皆さんのところでも、母親の威嚇の方が際立ってきてませんか?

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かつての父親というのは家庭内の最終兵器というか、世紀末の審判者の巨神兵のような扱いだったと思います。母親が注意しても聞かない場合に「お父さんに言いつけるよ!」とか「お父さんに怒ってもらうで!」という脅し文句として使うなど、神の裁定や神罰に近いイメージを与えれるように母親自体もうまく利用していた節もあるような気がします。

■サザエさんにおけるの父親の威厳

分かりやすい例でいうと、皆さんご存知サザエさんの波平さん。カツオがひどい悪さをした時には、フネさんやサザエさんは波平さんに言いつけます。その依頼を受けて、波平さんは、カツオを床の間に呼び出して「バカもん!!!」と波平さんは一喝します。そして、カツオはしおらしく「ごめんなさい、もうしません」と平身低頭。

では、この波平さんが発する父親の威厳というのは、どこから生まれてくるのでしょうか?
私の勝手な推測で言うと、サザエさん一家は専業主婦制度ですので、父親はほぼ育児に携わっていないと思います。なので、日々、顔を合わす時間も少ないので、必然的に父親と子供の間には距離感が出来てきます。

この距離感こそが、父親の威厳のポイントではないかと想像します。身近な人間ではありますが、普段あまり接していないので、何を考えているか分からなかったりして、親子間に微妙な近からず遠からずの距離間がある。これが父親の威厳という目に見えないものを形成しているんじゃないかと思います。

■子供との距離間との関係性

では、逆に父親の育児参加が進んでいくと、どうなるかと想像しますと、父親と子供の接する時間はどんどん増えていきますので、その分距離はどんどん近づいていきます。毎日、送迎やお風呂、寝かし付けをすると、もう半分めり込むぐらいの距離間になってしまうんじゃないかと思います。

なぜ、時間が増えると、そんなに距離間が縮まるのかというと、育児は怒ってばかりでは、先に進まない事が多いので、時には、褒め、なだめすかして、あの手この手で子供の心をコントロールするスキルを上げていく必要があります。スキルを上げるには、子供が何を考えているのかを想像しないと何も始まりません。ということで父親から子供に近づいていくので、どんどん、どんどん距離は縮まっていくのです。

その距離間の無さは、自然と親近感を生み出していき、その分、威厳はどんどん摩耗していきます。そして、その結果、父親という存在は、第二のママのようになってきている気がします。ママはファーストママ、パパはセカンドママ。いや、セカンドというのが補欠とか予備みたいな感じに聞こえるので、ここは敢えて、元祖と本家のような関係という事で。

■父権の大政奉還

育児分担が均等になっていくと、父親と母親の家庭での役割が同じようなものになっていくように感じています。共働きで両方が収入を得ている場合は、違いと言うと性別の差ぐらいしか無いんじゃないでしょうか。

その中で「育児に参加しろ、でも威厳も保て!」というのは無理な話です。なので、ママからの育児分担要求に応じる代わりに、父親の威厳の放棄を交換条件的に認めてもらいましょう。父権の大政奉還をして、父親の威厳という束縛から解放されて、ただの親として、身軽に育児をしていく。

これがこれからのパパのスタンスじゃないかと思う今日このごろです!?

 

 

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